人類の進歩と調和から55年
大阪万博がまた始まりました。「いのち輝く未来社会のデザイン」が本テーマとの事でした。
今から55年前。当時の私は12歳で、何度もEXPO’70の万博会場に足を運びました。自宅から近くに動物園前と言う地下鉄
堺筋線の終着駅があったので、座席に座ったら終点までそのまま座って会場前迄行けました。
地下鉄の工事中、夜寝ていると下から、地面の方から工事の音が響いてきました。当時はイケイケの時代、オー猛烈の時代、
その工事の音が万博に対する期待感となっていました。アメリカ館で月の石やアポロ11号の月面着陸船イーグル号を見たの
も、IBM館で初めてコンピューターに触れたのも昨日の事の様です。この入場券が欲しくて新聞配達もしていました。みん
なそれほど豊かではなかったですが、「人類の進歩と調和」に期待した時代でした。
堺筋線の終着駅があったので、座席に座ったら終点までそのまま座って会場前迄行けました。
地下鉄の工事中、夜寝ていると下から、地面の方から工事の音が響いてきました。当時はイケイケの時代、オー猛烈の時代、
その工事の音が万博に対する期待感となっていました。アメリカ館で月の石やアポロ11号の月面着陸船イーグル号を見たの
も、IBM館で初めてコンピューターに触れたのも昨日の事の様です。この入場券が欲しくて新聞配達もしていました。みん
なそれほど豊かではなかったですが、「人類の進歩と調和」に期待した時代でした。
写真はホンマもの当時入場券(半券)と公式メダル、そして印象に残るパビリオンの日立グループ館のパンフレットです。ほん
とにあちこち回りました。親と、親戚と、一人でと色々な形で行った記憶があります。
今を頑張って生きていたならば、あの頃と今の日本とを比べる必要もありませんが、色々思い出している事は確かです。溢れ
る様に思い出が湧いてきます。
« 寺社の街散策 | トップページ | 大きな栗の木下ね »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 恵まれない日(2025.05.23)
- 祭囃子が聞こえる頃(2025.05.22)
- 息継ぎは水泳の始まり(2025.05.21)
- 蝉の初鳴き(2025.05.20)
- 小さな侵略者(2025.05.19)
« 寺社の街散策 | トップページ | 大きな栗の木下ね »
コメント