福神漬とはいったい何なのか
スーパーの「もったいない」コーナーで78円で売られていた福神漬けを買ってしまいました。カレーのお供としてすぐに消
費するだろうと思ったからです。実際、この後の昼ごはんはカレーで、早速福神漬をお供にしました。
それからなんとなく「何故に福神漬けと言うネーミングか?何故にカレーライスのお供なのか?」と言う疑問が沸々と湧い
てきて調べてみました。そしたら出るわ出るわ、諸説入り乱れてその由来などが出てきました。以下に有力説を紹介してみ
ましょう。探偵ナイトスクープ見たいです。
福神漬け、そのネーミング由来と歴史。 福神漬けの材料は、ダイコン、キュウリ、ナス、レンコン、ショウガ、ナタマメ、
シソと7種の野菜が使われてます。そのレシピなども諸説ありますが、東京上野の「山田屋」が発明したとの石碑が東京の
西日暮里のお寺に残されている為、この「山田屋」の15代目店主である野田清右衛門が発明したとする説が有力となってい
るそうです。また、ネーミングに戻りますが、その山田屋の近くに弁財天が祀られており、七福神と7つの材料を経て、福神
漬けとなったとありました。また、当時の福神漬けは缶詰製品だったそう。
実は、明治以降戦前まで日本人の主食はお米(ご飯)であり、成人男子は1食で1.5合のご飯を食べていたそう。ご飯で糖質と
タンパク質を摂っていたんですね。さらに、帝国陸軍に至っては兵士一人当たりで一食2合、1日6合を食べていたそうです。
無論、おかずなんて物は無く、その際の食欲増進剤として缶詰の福神漬が重宝されたようです。福神漬けは沢庵と違って非
発酵食品ですので、缶詰で日持ちしたので軍の御用達になり全国的にも広がったとありました。因みに私の父親も満州に出兵
していましたが、味噌が重宝したそうです。ご飯につけて食べるって、それ戦国時代ですよね。。
では、何故にカレーの添え物かと言う事ですが、これもまた諸説入り乱れています。ただ、個人的にそうだっだら面白いなと
言う話を一つ。阪急グループの祖となる小林一三氏が、阪急デパートの食堂でライスにこの福神漬けを付けたからだろうです。
当時、皆貧しい時代だったので、食堂でライスのみ注文するお客さんが多数いて、無償のソースをご飯に掛けて、添え物の福
神漬で一食を済ませたとの事で、それはソーライスと呼ばれていたそうです。つまり福神漬けはライスの添え物であり、カレー
ライスにもついていた、と言う事だったんですね。
それで、カレーライスにも付いていた福神漬が現在まで残っていた理由はちょっと”はて?”が付きそうですが、戦後の日本人
の食変化などでご飯を少なくおかずを多くとなってきました。洋食もナイフとフォークのみからお箸で食せる様になって、細
かい福神漬より、沢庵などの方が香の物として主流となりました。でも、沢庵はスプーンでは食べづらく、福神漬は残ったと
のことでした。
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