大人の社会見学
やって来たのは鹿児島は知覧にある知覧特攻平和記念館。博多の自宅から約4時間、320
km程の道程だった。殆ど高速を使ったので快適そのもの。
11時を過ぎていたので先ずは腹ごしらえ。どこにするか考えてそこはやっぱり特攻の母と言
われた鳥濱 トメさんの富屋食堂へ。色々あったが、カツ丼で豚を堪能。美味しかった。
この知覧から飛び立ち戻らなかった若者は1,000名を越える。その殆どが当時軍の指定食堂
だった富屋食堂を訪れたと言う。
腹ごしらえもできたので平和会館へ。
当時の物ではなく後世に植林された物だろうが、遅咲きの八重桜が陽光に照らされて綺麗
だった。
館内は全て撮影禁止なのだが、写真を撮ろうと言う気持ちは正直起こらない。特に達者な筆
で書かれた遺書や遺影などは尚更だ。
建物の外側にある窓からは展示物である隼が見える。米軍に摂取されて後、愛好家の手を
幾つも渡ってきたらしいが今は静かに佇むのみである。
館外にある三角宿舎内部。特攻に行く数日前からここで隊員は寝泊まりし、時を過ごす事に
なるのだが、ここで撮影されたであろう写真に写る若者達は皆一様に笑顔だった。
公園内にある飛行士の像。どちらの方向を向いているのかと思えば開聞岳の方向との事。
それは日本で見る最後の高い山だからだそうだ。再び見る事は無い旅路である。
2007年に封切られた映画の撮影に使われた隼のレプリカ。飛行士になるには高い教養と身
体能力、そして何より胆力が必要であろうと容易に想像がつく。その様な優秀な人材が単な
る有人爆弾の部品になって散っていた事は知識では知っていたがその生は知らなかった。
独り旅なので思いつきで行き先変更。平和公園を後にすると一路開聞岳に向かう。
でも、ここに来てその死の瞬間迄の生をどの様に過ごしたかなどは知る由もなかったのだ
が、深く考えさせられる物があった。遠くに見える開聞岳を見下ろした若者に合掌。
休憩に立ち寄った所で美しい景色に出会う。この海の向こうはもう東シナ海。南の海だ。
ここまで400km近く走ったので給油。ハイオク仕様なのでちと財布に厳しいが、13〜14km/ℓ位は走ってくれる。1600ccだが軽量だからか存外燃費は良い。
雲行きが少し怪しくなってきたが、開聞岳の麓に到着。この後は山麓にある休憩所に行き
その後は鹿児島市内のホテルに向かう。
ホテルは温泉大浴場付き、朝飯付きで4,800円と言う所だったが、十分であった。夕刻からは
本格的に雨が降り始め、次の日曜日も本降り。霧島から更に山間ルートを通ってえびのICか
ら帰る予定だったが、雨で面白く無いのでそのまま帰路に付く。
総走行距離は約800km、有意義な大人の社会見学の旅であった。
« 港町 博多 | トップページ | 2014黄金週間開始 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- トング!トング!トング!(2024.12.06)
- 紅一点!(2024.12.05)
- 霧に咽ぶ朝と災害(2024.12.04)
- 霧に沈む街とヒートショック対策(2024.12.03)
- アナログの良さ(2024.12.02)
コメント