支援
震災から5ヶ月が経過し、私自身が仕事で関わる自動車産業や産業機械関係はほぼ
通常に戻った。つまり被災した関連工場はほぼ復旧し、あるいは別の地域で復活し
たと考えられる。これは日々納期を管理しているので判る事だ。
でも、被災地にいる方々の声をWEBなどで見ると、ボランティアの方々にはとて
も感謝しつつ、無垢の善意である「無償の行為」の前には「食べる為の有償の仕
事」が奪われ、ただ座して時の過ぎるのを待っていると言う話を散見するのだっ
た。つまり、5ヶ月経過した今の最大問題は失職。
ボランティアの精神は全く否定しない。要はその有り様が時間の経過と供に、震
災直後から変わって来ているのだと思う。仕事やお金を得る機会を地元から奪っ
ていないか?が心配になってくる。
有給を取って、現地に自腹を切って入る人達はそこで精神的に得る物が多数ある
だろう。流した汗の量だけ、歩いた歩数だけ、地元の人との会話を通していい事
も悪い事も経験し、その人の豊かな将来の為に人生の経験値を上げるだろう。
でももう5ヶ月、お金は仕事をして得なければならない。少なくても私はそう思
っている。だから「無償の行為」が本当に地元の為だろうか? 確かに現地の塵
芥処理などは相当の力仕事で、炎天下の屋外作業のきつさは半端ではない。
仕事に必要な人材は「頑健な男の人」、それから外れた方々はどうやって仕事を
得るのか、本来は行政の仕事なのだろうが、軽作業などは是非とも有償で地元に
回すべきであり、ボランティアの方々は行政の手が届かない現地の要望聞き取り
や、特定不明者探しなど、あるいは働ける方の為に幼児・児童を保護できる託児
所の補助など、地元の弱い個の方々の要望こそ無償の行為で行なうべきではない
かと思ってしまう。これは最も身近で起こった神戸の震災で、その後の復旧時に
現地で一番感じた事であった。
私が今出来る事は、東北産の酒を飲み、果物を買い、肉や米を食らう。この歳で
僅かばかりの放射線など死んで行く時に影響などなし。むしろ30年吸っていた煙
草、大阪市の悪い水や空気、ストレス、過食による太り過ぎなどの方が死因に影
響しそうだ。そうして、地元の方の努力をお金に換えて回してあげないと心が萎
えてしまうだろう。
そこにおられる方々は、現在各地に沢山いらっしゃる「働きたくない人」ではな
く、「働きたくても働けない人」が多くだろうから、是非ともお金を回せる様に
消費に励んで支援したいと考えるのだが。情報が偏っていて変な方向に意見が向
いているかも知れないが、今の私が出来る事はこれしかない。
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WARAKADOさん、こんにちは。
人はボランティアって言うと、尊い事と思いますが、あれってもう御褒美をもらってるんですよね。
自分の中の倫理感に照らし合わせて、「ああ、いい事をした。」って思うことが御褒美なんですね。
脳から、麻薬物質が出て、いい気持ちに成れるわけです。
私事ですが、ボランティアさん嫌いです。
私達は勉強して、資格を得て、その仕事について、生活の糧にしています。サービスを受けるには、その代価を支払わないといけないのです。これが資本主義の仕組みです。
無償では、そのサービスが続けられないのです。
結局、本人の自己満足で終わってしまうのですよね。
さて、東北ですが、そろそろ公共事業を地元の人の求人で始めないといけないでしょうね。
道路工事や港湾工事は仕事がありそうですからね。
地元の人にお金の落ちる対策をしてあげないといけないと思います
投稿: YANBO | 2011年8月20日 (土) 21時05分
私はボランティアの精神を否定はしません。
でも、実の祖父母や両親を有償ヘルパーさんにまかせ、身近なご近所や公園、
駅と言った所の清掃もせず、自転車を放置し他人の土地にせっせと通う。そ
んな方がいたとすると、何か違う様な気がします。責任のあり方が、社会と
の関わり方が違う様な気がします。
また、地元には糧を得るべき人達が大勢いるのでしょう。石油タンカーが座
礁して、海岸が油まみれになってその除去を手伝うのとは違うのですね。
有償で有るべき事は有償で行なう事です。それが各々の責任とやりがいにな
るのだと思っています。言いたくても言えない方が大勢いらっしゃる事に
WEBを見ていて思いました。
投稿: warakado | 2011年8月21日 (日) 00時33分