大阪市街地、秘境の旅
時は天正5年(1585年)に太閤さんが大阪城外堀として開削を命じた東横堀川を前回
に続いて1月3日に巡る。大阪の汚れた高千穂峡、秘境の旅に出る。写真は葭屋橋の
南にある今橋(いまばし)。
高麗橋(こうらいばし)、この辺りの西側には遊歩道が小規模ながら作られており、
桜並木がある。春、それなりに近隣のビジネスマン、OLの憩いの場となる。
遠くに見えるは東横堀川の水門、上下開閉により水質の調整を行なうとの事。若
かりし頃、小型の船外機付きボートで大阪湾から遡上し、この辺も通った事があ
る。当時は醤油色の汚れた水たまりに浮かぶ葉っぱみたいだった。
リベット大好き平野橋(ひらのばし)。作りが天神橋や天満橋などに似ている。
大手橋(おおてばし)。大阪城の大手門に通じる橋筋だが、ネットを見ると昔は思案
橋と言われていたそう。確かに橋の西側は行き止まり。RCだが奇麗な橋だ。
本町橋(ほんまちばし)。本町通りに掛かる橋で、日中の交通量は半端無い。職場に
最も近い橋でもある。そして現役の橋としては大阪市内最古の橋である。
大阪の汚れた高千穂峡。日が射すと煤煙に見事な光芒が浮かぶ。陰鬱とした雰囲
気だが、何故か悪い気がしない。そしてこの橋は見事な三重アーチの鉄橋なのだ
が、全景を写せる場所が無い。とほほ。
ポイントを探してちょっと寄り道。堺筋本町で有名な喫茶店、ゼー六さん。喫茶
店なのにアイス最中が有名である。結局見つけられず。
本町の曲がり。実はこの本町橋から東横堀川が大きく曲がっている。調べると開削
時にお寺がありそれを迂回した物との事。それが災いし、曲がり角で急流が生じて
身投げが続出したとの事だった。今だけが特別な時代じゃない、何時の世も同じ
か。
その方達を供養する為の地蔵様。
農人橋(のうにんばし)。ずっと『のうじんばし』と思っていたが、良く見るとにん
と書いてある。
久宝寺橋(きゅうほうじばし)。命名は当時この地にあった久宝寺に由来していると
説明板に書いてあった。この辺から周辺に余裕が無くなって来た。どう撮ってもま
ずいシーンが出て来る。
秘境探検は続く。
ちょっと休憩。おっと、どこかで見かけた事のあるお名前。トレードマークのウ
ズラがただのひよこに見える。
安堂寺橋(あんどうじばし)。両岸工事中で情報少なし。このままスルー。
末吉橋(すえよしばし)。長堀通りに掛かる橋で、これまた日中の交通量は半端ない
のだが、やはり正月3日。余裕で道路の真ん中で撮影もできる(してないが)。
RCアーチである。元々は平野郷の豪商、末吉孫左衛門が普請した橋となっており、
その維持には橋筋の面々が醵金(きょきん)したとの事だった。
九之助橋(くのすけばし)。この橋も橋筋の町人の醵金によって普請された橋であ
るが、命名の由来は定かでは無い。尚、この辺りには銅吹所などがあり、大阪の
工業地帯だった模様。危うい廃棄物も多かったろうな。
九之助橋の遠景、奇麗な鋼アーチ橋だ。因にこの写真は東横堀橋から撮影して
いるが、この橋の写真はちょっとややこしい絵に成ったので不掲載に。
瓦屋橋(かわらやばし)。因に私の大学時代の友人に江戸時代から銘木を扱う材木商
の息子がいたが、その家がこの橋筋にあった。屋号も同じだった気がする。
上大和橋(かみやまとばし)。東横堀川はここで終着、ここから川は直角に曲がり、
道頓堀川となる。
上大和橋から先の道頓堀川、丁度下水工事をやっており雑然としているが、違和
感が無い。
一体誰が何の目的でこの座像を置いたのか? 顔を見たくて腕をのばして撮影した
が、とても怖くてここでは公表できないミステリーゾーン !
さて、秘境の旅もここまで。次からは大阪ミナミ、道頓堀川にそって見る。
下大和橋(しもやまとばし)。近くに大きな船着き場があり、市電のできる前には
1日2万人の利用者があったとの事。船で金比羅山詣にgo!
静かな道頓堀川を望む。実はこの辺からカメラの設定を間違えてISO1600ですべ
て撮影してしまい、青空の入る所では恐らく完全に露出オーバーとなっている。
さて、堺筋に到着し道頓堀を望む。ここからは観光地化した大阪ミナミの始まり。
川の南側が道頓堀、北側が宗右衛門町となる。こちら側がどちらかと言うと落ち着
いており、大人向き。安くて美味しい寿司屋などが沢山ある。
日本橋(にほんばし)。江戸の「にっぽんばし」別物。因に堺筋とは言っているが、
紀州街道である。周辺には旅籠が沢山あり、落語でも良く出て来たと思う。
相合橋(あいあうばし)。艶っぽい命名であるが、実は男女が橋を渡ると縁が切れる
と言う伝聞もある。だから婚礼の行列もこの橋は避けたとある。たこ焼き屋で揉め
てる以上におもろい話である。
戎橋(えびすばし)。道頓堀ダイブの中心となった別名”ひっかけ橋”であるが、何だ
か物々しい、中世の鎧の様な橋になった。命名の由来は不明、一説では今宮戎へ
の参道になったからとあるが真偽不明。川を巡る旅も終着へ向かう。
ここから先は水路、周辺整備に工事で撮影できず。本来なら大黒橋(だいこくばし)
と住吉橋(すみよしばし)、映画『道頓堀川』の撮影舞台となった場所が撮影できる
はずだった。
秘境の旅に特別参加の道頓堀ホテル。このホテルは同僚の定宿だったし、高校の
35年ぶり同窓会でも利用した。なんといっても4つの民族の特徴を出したこの像
が秀逸。
実は大阪には今日巡った東横堀川に対して西横堀川と言う運河があった。関ヶ原
の慶長5年(1600年)に開削し、昭和45年(1970年)の大阪万博の年に埋めたてが完
了。因に川は堂島川からこの道頓堀川に繋がっており、大阪の中心部は川と運河で
囲まれていた事になり、水の都と言われるのも不思議ではない。写真の水門はその
終焉を待つのみ。因にこの写真は金屋橋から撮影。
架け替え工事中の大黒橋(だいこくばし)が見える。船はここまでは入れない。
深里橋(ふかりばし)。この橋は市電の開通とともに完成した橋。筋で言えば四ツ橋
筋に掛かる橋となる。交通量は相当。
直ぐ横には大阪リバープレイスがあり、川辺を楽しむ人が増えて来ている。
さてもラスト。新しくできた浮庭橋、写真の通り吊り橋であり、歩行者専用であ
る。橋にはツタや芝などが植生され、庭を再現している模様。
さて、これで川を巡る旅、大阪市内編は一応終了。次は木津川編や大和川編など
もやってみたい。でも、市内の川の無い橋シリーズも面白そうだ。
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健康増進と隠れた現代の遺跡?探訪、これは面白いです。
これからライフワークとしてやってみては如何でしょうか?、同じものを季節や年代別で記録すると面白いです。
そこに人物の姿を加えると更に幅が広がりそうですが。
スナップの境地を楽しむきっかけになりそうです、被写体は充分有りますね。
これからもシリーズ化して下さい、楽しみにしてます。
投稿: くわぽん | 2011年1月 9日 (日) 21時44分
>くわぽんさん
こんばんは
大阪は碁盤の目の様に水路が開削されており、どこもかしこも「橋」だら
け。橋も洪水で流れたり、道路の整備に会わせたりで、元にあった所に今も
鎮座するのは少ないです。ですので、おっしゃる様に今後は人や物も入れた
風物記録として橋のある風景が取れればいいですね。
都市写真はどういうまとめ方をするのかで随分違った印象になりそうです。
投稿: warakado | 2011年1月 9日 (日) 22時37分