風タチヌ
叔母が旅立ち、そのお手伝いをさせて頂いた。施設に入っており、時折面会には
行っていたが、唯一の身寄りとしては甚だ不十分だったと言わざるを得ない。
とてつもなく深い暗闇にはまりこんだ様な気持ちになり、何故もっと早くと後悔の
念ばかり。係の方から普段の生活において甥の私を気遣う事ばかりと言う話を聞く
に連れ、一人、本当に独りで涅槃へ旅立った叔母に申し訳ない気持ちで一杯だった。
子の無い私たちは、いずれどちらか相方を見送る日がくるだろう。それからどれだ
けの独りの日々を送るのだろう。それは間違いなくやってくる。その時、どれだけ
茫漠たる独りきりの時間に耐えられるだろうか。
でも、もう一つ思った事があった。施設には子をなしてなお更に深い孤独を味わっ
ている方々がいらっしゃるようだ。それは持たない私たちより更に深い孤独ではな
いかと思ってしまう。持たざる物は、持つが故の喜びも悲しみも知らないからそう
思うのかも知れないが。
今はせめて、家内と一緒に亡き叔母を偲び、生きる限りその心に思い出を残そうと
思う。叔母さん、やすからに、さようなら。
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コメント
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こないだ中学の同級生が亡くなりました。
その時のおじゅっさんが「人は二度死ぬ。一度目は命が無くなる時。二度目は人の記憶から無くなる時。」と言うてはりました。
決して007の話しやないですから。
叔母さんの御冥福をお祈り致します。
投稿: 某なにがし | 2010年11月13日 (土) 19時31分
>某なにがしさん
ありがとう。
葬儀も無事終わりました。お寺さんに併設された擁護老人ホームだったの
でお堂を借りて葬儀を行なう事ができたのが幸いでした。ホームの中では
80歳は若い方らしく、焼香や献花の際にまだ若いのにと言う言葉が何とも。
尚、私たち以外、一般の方の参列はありません。生前おつきあいのあった
方が殆どいなかったし、80歳を若いと言うホームではそれが普通だそうで
す。
ただ、体の事で葬儀には参列できなかった母親も伯母にもちゃんと報告でき
る葬儀ができたのでホッとしている次第。後は忌明けに納骨の段取りをとる
ようにしないと。また、京都の役所回りをして、生きていた証の整理でやる
事はまだ沢山あります。
因にご縁のできたホームに通う様になって、色々な人の事情/欲望を耳にす
る事になりました。老いってなんだろう、親子ってなんだろう?おじゅっさ
んの言う二度死ぬは確かにそうだと思ってしまいました。そう言う意味では
ホームの一部の方達や、私たちもそう願った訳ではありませんが、もう既に
死んでいるのかも知れませんね。
長生きは良い事です。でも、良い事が幸せかはまた別の話だと思います。
投稿: warakado | 2010年11月14日 (日) 01時16分