今宵十三夜
先月の十五夜と対になる十三夜。片方だけを見るのは片見月で敬遠されるそう。
« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »
先月の十五夜と対になる十三夜。片方だけを見るのは片見月で敬遠されるそう。
今更、何も言う事はない。見れば判る。つい出来心だった。程度の良い中古がショーウィンドーの中で光っていた。これは良いご縁と思った次第。
今日は生家近くに用事があり立ち寄った。
今日は朝から曇天で肌寒い。昨日は出張で夜遅くの帰宅となり、体調不良ながらアウリンコの10月2nd.の例会に参加。久しぶりに初心者が多い会となり、私は初心者組に入ってリーダーのお手伝いをする。
少し前にニコンのD3Sが発表されたと思ったら、間髪いれずにキャノンのフラッグシップ、1DMarkⅣが発表された。
快晴の日曜日、昨日は雨で充分歩けなかったので長居公園でがっつり10kmを歩く。家に戻り昼食後、DP2のファームウエアをバージョンアップしてから試し撮りにもう一度長居公園を散策。
最近、仕事で南港へ伺う機会が増えた。写真はポートタウン東駅から相愛大学正門を臨む道。相愛って女子大と思っていたが、今は共学になっていた。男子学生も少なくなく、朝などは結構な人数は登校していった。
今日も最高のお天気。朝からイベントで大賑わいの長居公園は避けて、静かな大泉緑地へ向かう。
今週は色々懐かしい所に仕事で出かけた。まずは京阪光善寺駅前のローソン。実はローソンに関係あるのではなくその場所。30年前、ここはヤマザキだった。前にも書いた記憶があるが、そのヤマザキの新装開店の内装のバイトしていて、壁紙を貼らされた。生まれて初めて壁紙を貼ったが、何年か後に尋ねてもちゃんとひっついていた。
これはおまけの光善寺デパート。デパートとはちょっと言い過ぎな気もするが、昭和の香りのプンプンする建物である。ちなみに近くに小学校があるのだが、蹉跎小学校と書いてさだしょうがっこうと読む。北河内方面は難読な地名が多い。
あとはこの破れ傘刀舟の様なアーケードの今里新道筋商店街。この日は雨だったが、雨粒が容赦なく路面に落ち、商店街を傘をさして足早に通り過ぎる人も多かった。商店街の衰退は地方都市の駅前に限った話ではない。ここ大阪市内でもだ。
最後は金、土で出張、帰りの新幹線のホームから。この角度から撮る新幹線もなかなかよさそう。いや、むしろ反対側の上りホームの方がいいかな?
さて、来週もあちこち外出が待っている。携帯での撮影が増えて画像が悪くなるが、この機動性は今更ながら便利だな。
10年に一度の超大型台風が近畿直撃、大阪に上陸すると言う夜。帰宅を急ぐ足は何故か馴染みのカメラ屋へ向かい雨宿り。帰りには何か手荷物が雨に濡れない様に鞄の中に。おおっと、超久しぶりのレンズ購入。最後にレンズを買ったのは70-200mmf4L以来だから、○×△□と言う間隔だ。だから本当に久しぶりだ。
ニコンは105mmf2.8や60mmf2.8など素晴らしいマクロを出してきたのに、Canonマウントのみになってからは実に残念だった。キャノンには105mmf2.8マクロUSMと言うのがあったが、設計が古く、新製品を待ち望んでいた(後は300mmf4のリニューアルを待つだけ)。
まだ数枚程度しか試し撮りしていないが、1DM3に付けて130mmf2.8の中望遠。何だか楽しい秋から冬の写道楽の予感。
既に沢山の方がご覧になっているだろう。原本は1999年、写真の新装版は2002年の発行である。ハッセルブラッドで撮影された原版はNASAで保管されていたが、その原版をドラムスキャナーによってデジタル化し、世に送り出したのである。
原本発行は知っていたが、当時洋書のみで非常に高額だったから手が出なかったのだが、だいぶ小さく新装となって後に発売された。改めて思う。中判カメラの画像は凄いな、やっぱり。
これが表紙。そして中を見てもうひとつ気付く。月面で写した写真ってカラーだったんだ。万博のアメリカ館で見た月の石と写真はどうだったか、もう覚えていなのだが。
やっちゃいけない事と認識、ちょっとだけでも中味を。これはアポロ計画前のジェミニ計画時、人類で最初の宇宙遊泳の写真。1965年6月の事。実に44年以上前に、誰も知らない天空でこんなパーティを開いていたようだ。
2枚の写真、キャパじゃないが、ちょっとピンボケ。いや、正確には手ブレだな。 確かにブレている。人類初の宇宙遊泳手ブレ写真。この時の会話が本には書かれているが、ヤンキー魂健在だ。
ネット友達のHatena-no-Tyawannさんが先日ご自身のブログでアポロ計画を描いた“A MAN ON THE MOON”をご紹介されていたので思い出した次第。
因みに帯の『思わず目をむいた』はけっして嘘じゃない。
失敗学で有名な畑村氏と、元三星電子常務の吉川氏の共著。昨今の経済危機に対する日本企業の処し方に一石を投じる本と言う所。
グローバル化と国際化、似て全く異なる事に日本人は中々気付かなかったが、アジアの経済危機に際し、経営の大転換を果たした韓国三星電子。その時、その当事者として戦略を練った吉川氏の話が興味深かった。
韓国だから、中国だから、ではなく世界の誰が買ってくれるのか?を危機意識を持って、真摯に考えた結果と言う事だろう。日本人もそんな事はとっくに知っているはずなのだが、20万円代で買える自動車で一家が心の底から満足できる国や民族がいる事をもう判る事もできなくなったのかな?
朝から快晴、大泉緑地へN.W.へ行く。樹のみちのルートを確認しようと公園に入った途端に30年来の友人である某なにがし氏にばったり。別に待ち合わせした訳ではないが、彼の案内で丘二つ超えの樹のみちルートを教えてもらう。これでばっちり、次回一人で歩けたら早速勝手にノルディックを開いてみよう。
昼から伯父のお見舞いに京都へ。年齢が年齢だけに直ぐに元気になる訳ではなかったが、日増しに元気になってゆく姿を見て一安心。
時に写真は阪急西院(さいいん)駅。子供の頃から慣れ親しんだ駅であるが、同じ字を書くのに直ぐ傍にある京福電鉄の西院駅は違う読み方をする。
あ、小さすぎたか。西院と書いて“さい”と読む。ちゃんと漢字変換でもそのように出る。あと、京都の地名で気にもしていなかったが、静岡出身の同僚に指摘されたのが、縦横のどちらを先に呼ぶか?京都の地名は碁盤の目と言う形から縦横の通り、地名を組み合わせれば殆どの所に迷わずいけるのだが、意外な指摘であった。
因みに四条河原町は横(東西)の四条通りが先にくる。縦の河原町通りは後。堀川丸太町は縦(南北)が先で横の丸太町が後である。厳密な縦横の決まりがあるのだろうか?ほんと、50年近く京都に縁があったのだが気にした事なかったなあ。因みに大阪では南北は“筋”、東西が“通”が厳密ではないが、中心部のだいたいの決まり。
今夜の大阪の空は概ね雲に覆われていたが、時折雲の切れ間から満月が顔を覗かせていたので、その刹那を狙って10枚程撮影した。でも、ピントが上手く合わなくて、とても甘い写真になったのが残念。
それと、新しい試みとして今日から長居スタジアム内にある長居トレセンに通い始めた。もっと積極的に足腰の筋トレをしようと言うのと、一向に落ちないウエスト周りを何とかしようと考えたのだが。
初回必須項目の自転車こぎ体力測定では年齢以上の心肺機能を示したが、体重・体脂肪がありすぎて全体の健康度がかなり悪くなった。課題はもやは明白過ぎる。
続く体内測定で基礎代謝量が1690kcalを示し、それは17歳男子の相場だった。摂っても2200kcal位の食生活なので、運動をしていれば痩せない方がおかしいのだが、お医者さんの言う超節約体質と、脂質分解酵素の欠如が遺伝的にあるのだろうか。
“やせればいいってもんじゃない!” 月に向かって一人寂しく吠えた。
最近のコメント