ご近所巡り~古代編~
歴史の散歩
この地に住んで15年、まだまだ知らない事が多いのに気づき、カメラを持って散歩に出かけた。目的はまず知ってる人は知っている旧跡から。
住吉区あびこ駅近辺は紀元前後は上町台地の端、海抜も15m程度はあったらしい。開発の進んだ今も、大和川に向かって長居から微妙に下っているし、南港に向けても同じ。余談だが、あびこから西にある、山之内遺跡、遠里小野遺跡からは旧石器時代の物も含めて遺物が出土している。
さて、紀元の初めごろより依羅吾彦一族がこの地に住んでいた。依羅(よさみ)は寄網、吾彦(あびこ)は網曳が由来との事で魚を捕ったり猟をしていたと想像できる。
オオヨサミ神社
そして駅の近くに府立阪南高校があるのだが、その東隣にある神社がこの大依羅神社。この神社の歴史は古く、前述の依羅吾彦一族による創建は紀元200年頃との事なので住吉大社より前である。また、一族は大和朝廷などとの繋がりも強く、住吉津を通して遠くは朝鮮と交易、非常に大きな勢力だったようだ。そして南北朝時代に滅ぶまで勢力を誇っていた(神社の本殿はこの時に焼失した模様)。
因みに日本書紀には吾彦一族のだれ某が朝鮮から「倶知」と言う名の鳥を捕まえ天皇に献上した事が書かれており、その倶知は訓練すれば他の鳥を捕まえる、つまり「鷹」であり、後にその鷹を訓練する人たちの集団がいた場所が今の長居公園東側にある鷹合町となったそうだ(その話はまた今度‥)。
とにもかくにも神社は実に1800年と言う歴史をこの地に刻んでいる。日本書紀や古事記にも登場する由緒正しき神社である事をつい最近まで知らなかった。あびこ観音さんも古いがそれは1400年前。その400年も前に建てられた神社である。
ひっそり1800年
本当にひっそりとしている。隣は府立高校、方や駐車場と民家。日本書紀や古事記にその名を刻み、住吉大社を越える歴史を持っているとは思えない程地味だ。でも、この寂れ方が何とも良い。杜と言える程ではないが、これまた樹齢500年を超える楠の巨木があり静かにたたずんでいた。
春には桜
桜の樹が植えられている。春には綺麗な花を咲かせるだろうから、また是非こなければならない。
新たな歴史?
境内掘ったらダイオキシンではやっぱりまずいよね。そんな歴史は飾りたくない!の看板である。
ヨサミ池跡
10万坪に及ぶ古代大阪で一番大きな池であったヨサミ池跡。依羅、依網、‥とにかく漢字があったか無かったか後で当て字をしていたのか何でも「夜露死苦」状態。1704年の現大和川付け替え工事で池が分断されるまで地域の水利を守っていたが、経済的価値がこれにより著しく低下し、一部では共同用水としての権利放棄などがあった模様である。
*以上は住吉区役所のHP、阪南高校地理学先生のHP、依羅小学校OBのHPを参考にさせて頂きました。
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