進路っていつ決めてもいいじゃないか
新聞にも載っていたしラジオでも聞いた。医者の子供にとって医者と言う進路は苦痛だと感じる子供が多数だと。奈良の事件の影響が広がっている。職業なんてちゃんと食べてる人の数だけあるのだから焦らなくてもいいのにと私は思ってしまう。
ただそうして得た職業が医者だろうが、タクシーの運ちゃんだろうが、いやもっと広義に言えば自分のした事の責任は全て自分にあると言う考えは外せない。今この部分がどの職業からも、全ての行為から失われつつある事が恐ろしい。
一つの行為が他に与える影響を色んな角度から見せる、教える事をしないで自己責任と言う言葉も知らない大人もどきが大量生産されている我が国。私もいつ壊れるか判らない粗悪品のひとつかも知れないが、一人の子供の行為がなんだか一つの可能性を暗示しているようで怖い。
話を戻そう。進路なんてある時点から見れば可能性の一つだ。でもそれを選ぶのは本人でなければならない。その時点から自己責任はついて回るはずだから。
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warakadoさん、ボクもこのニュースには強い関心があります。
子どもに夢と可能性を与えるのは、親の役割だと思います。
受けるのは子どもの意思ですが、きついボールは受け取れませんよね?
投稿: cowgee | 2006年7月 2日 (日) 06時33分
cowgeeさん、こんにちは
自分の事で言えば一度進学を諦め社会に出て、再び学校に戻る時など進路で悩んだ時に親が示してくれた道は大きかったと思います。まじめに生きれば道は一杯あると。
色んな子供に色んな親がいると思いますが、cowgeeさんのおっしゃるようにきついボールは子供に受ける意思があっても受け取れないと思います。
どの局面も常に考え続ける限りは選ぶ道は可能性の一つだと示してあげる。人生、やり直す事はできなくても、考え悩み続ける限り新しく創る事はできるのですから何ラウンドでもやってやると言う気持ちが大切ですね。
私には子供がいません。親にはなれなかったので一般論でしか言えませんが。。
投稿: warakado | 2006年7月 2日 (日) 11時22分
▼warakadoさん
医者の父は、自分が医者として成功したので、子供に楽な人生を歩ませてやろう、自分の用意したものをそのまま引き継いでくれたら苦労はない…と親心だったんでしょうけど、それが子供には通じなかったんですね。
「何ラウンドでもやってやると言う気持ちが大切ですね」
その通り! 本当のところはほとんどの場合やり直しが効きます。よっぽどのことをしない限り大丈夫。それに気づいていない人が多いですね。気づかないで行き詰まってそれが今回のような事件を起こしてしまうんですね。親がドーンと構えてないと子供の蚊の鳴くような心の悲鳴は聞こえません。
投稿: うずらまん | 2006年7月 7日 (金) 16時55分
うずらまんさん、こんばんは
このニュースは考えさせられる事が多いです。今日も大阪大学と言う最高学府に通う学生さんが、親になじられただけで金槌で殴り殺したと言う痛ましい事件がありましたね。
何なんでしょうね。いったいぜんたい。。。。
投稿: warakado | 2006年7月 7日 (金) 23時21分