人形の里へ行ってきた
人形の里 岩槻
土曜日に出張から足を延ばして人形の里で有名な岩槻に行って来た。母親が入院している病院へ見舞いに行って来た。母の日には一日早かったが、出来るときにしておいた。
埼玉で暮らしている母が連休前に入院したと同居の兄から連絡を受けていた。メニエール病の他に体に痛みと発熱が続いたのだ。今回は検査入院に近いのだが、会えば母は元気にしていた。既に18年一緒に暮らしてはいないが、最近は会うたびに肉体的な衰えを感じていた。気持ちも体の状態を反映して塞ぎがちだったが、めまいは別にして、投薬による痛みの回復でかなり気持ちも明るく、前向きになったようだ。
今までの検査結果では、やはり加齢による物が主だったので、痛み止めなど症状をやわらげる事が、現時点での狭義のQOLを高める方法との事だった。
ただ、母の背中を見ていると、その背に負われていた時を様々に思い出し、なんと小さく、丸くなった物よと寂しく悲しくなってきた。それでも、いい歳をした我が子の行く末を気遣う母の気持ちにただただ感謝し、心の中で泣いていた。親とはかくも有難い存在なのかと。
帰り際、母は散歩のつもりと言って玄関まで見送りに来てくれた。背が更に低くなった印象を受ける。最後に母は「長生きはしたいけど、それは質の問題やね、こんな痛みが酷い時には早う楽になっておとうちゃんの所に行きたいと思うたわ。せやけど元気が出るともうちょっとと欲も出たわ」と笑う母。
母の日に花を贈る事しかしてこなかった事を反省する。親の望む子の幸せにはちょくちょく背いてきたが、母より長生きする事だけは守ろうと思う。
沢山の人形店
母の元気さは痛みの多くを取り去った事にあった。ただ、元が傷んでいるので痛みが判らないと余計に体に負担を与えてしまわないか?痛みは体のセンサーからの危険信号、簡単に取り除く事は逆効果では?と昔は考えていた。
しかし、自分も歳を重ねると、若い時の感覚は捨てようと思うようになった。首に障害を持つようになったので、痛みの辛さは部分的に判る。健康な体と言う状態の素晴らしさを今頃気づいても遅いのだが、しかし無理に嘆く事もない。適切な指導に基づく薬で生活の質が保たれるなら、それを認識して使えばいいと思うようになった。気が変わった訳ではなく、人が変わったのだ。
東武野田線 岩槻駅舎
帰りの電車の中で母の姿を思い出していた。今は遠く離れて暮らしてはいるが、母の心には子を思う親の気持ちがぎっしり詰まっていた。今も乳飲み子の顔を今の私に見出しているのだろうか。それを今日更に感じた。
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